他人の為に命をかけて看病できる人は今の時代にいるでしょうか。
感染を恐れない人はいないはずです。今は亡き叔母の実話をします。
当時、叔母は15歳でした。戦後まだ間もない頃の事です。幼い妹を背中に背負って子守りをしていた叔母でした。近所には「結核」の女性がいました。その女性の家族は誰もお世話をしてあげません。感染を恐れていたと思われます。本来は隔離病棟へ行くべきなのでしょうね。しかし、それもままならない経済的な事情があったと思われます。戦後の事ですから。
可哀想になった15歳の叔母は、子守りをしながら「結核」の女性の自宅へ通って介護をしていたのです。母親(私には祖母にあたります)は、子守りを頼んでいたものの、その幼子が心配でならなかったと言います。あの当時は「結核」は不治の病でしたからね。毎日、毎日、病人の世話をしている間に、15歳の叔母に症状が現れました。しかし、それでも、「こんなもの風邪ひきだってば」などと言う叔母でした。しかし、確実に「結核」の病魔に襲われていました。15歳と言えば若いものです。病気が進行するのは速いです。そうこうしている間に、介護をされていた女性は亡くなりました。その後、15歳だった叔母も寝込むようになりだしました。熱が出てきたからですね。15歳で太っていた叔母は、「結核」の進行が速いので、痩せる間もなく16歳になってこの世を去りました。
今の時代に、このような犠牲を払える人はいるでしょうか?毛嫌いこそしても、伝染病の患者の世話などとんでもない事だと思います。叔母の背中におんぶされていた幼子に感染しなかった事がせめてもの救いでした。母親(祖母)もこの事を恨んではいません。優しい娘を誇りに思っていたと思います。今でも、その叔母の事は語られています。たくさんいる母の姉妹の長女が叔母です。よく、喧嘩をした思い出があると言っていました。しかし、何故?叔母だけが「結核」を恐れずに病人の看病をしたのだろう・・。無条件に優しかったと思います。看護師の資格こそなかったけれど、亡くなったその女性は確かに叔母に感謝をなさったと思います。
それから数年後に「結核」は完治する病気となったのですね。医学の進歩がもう少し速ければ、叔母は16歳で人生を終える事はなかったはずですね。もっと青春を謳歌していたかも知れませんが、今は私の心の中でも誇りの叔母となって生き続けております。
人の為に命を惜しまず犠牲心を持つ事は良いと思いますが、簡単にはできない事です。
叔母はやり過ぎたのかも知れません・・。しかし、お世話をしてくれる人がいない時に見捨てる事ができなかった叔母の気持ちは純粋そのものであったと思います。